◆1964年 イラストレーション時代 I
1964年
大人向けイラストレーション活動を始める~
'64頃から児童マンガから大人向けマンガやイラストレーションにシフトを移す。
EQMM(エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン)誌(早川書房刊)'64年9月号よりイラストレーションを発表。欧米の短編小説、ミステリ物のイラストを描く。'66年HAYAKAWA'Sミステリ・マガジンに誌名が変わっても'68年まで続く。
この頃から、日本のマンガ以外に雑誌「ニューヨーカー」に一枚物の作品を発表していたアメリカの漫画家ソル・スタインバーグに憧れていた。
自己への鋭い追求の表現とイリュージョンに充ち満ちた彼の線描は私を虜にした。
(後年、スタインバーグの作品はN.Yの近代美術館MoMAに作品がコレクションされているのをN.Y滞在中に知った)
20歳の時、美術雑誌を通し始めてパウル・クレーの作品と出会う。クレーの線描にかつて経験した事の無い強烈な絵画的ショックを受ける。このショックは以降、自身の方向転換の重大な要素となり続けた。「新しい世界」がそこにあった。
1965年
EQMM(エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン)誌(早川書房刊) カバーイラスト
- 「銃弾の日」(ミッキー.スピレイン)
- 「使いこまれた財産」(E.S.ガードナー)
- 「忘却へのパスポート」(ジェームス.サーバー)
- 「ただひと突きの」(シリアル.ヘアー)等々
- ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックのカバーイラスト制作
1966年 2月
画集<異分子>HERETIC 自費出版。
異分子 右:黒い方がオリジナル 左:茶系の表紙は復刻版2月、東京・新宿<椿・近代画廊>にて個展。美術評論家・針生一郎[はりう いちろう]氏に認められ、雑誌「新日本文学」(針生一郎責任編集)に1年間イラストレーションを発表。(デザインは杉浦康平氏) 同展の最終日ジャズ・ベーシストの友人吉沢元治[よしざわ もとはる]さんの協力で中村誠一(SAX)、安田南(Vo)のトリオでジャズライブ・パーティを開く。吉沢さんとはその後ニューヨークの地でも交友が続く。(後、ソロベーシストに'89N.Yで合流す。インプロヴィセイションの孤高の道を歩む。)
翌月、針生一郎氏の企画により、東京・六本木<梅花亭ギャラリー>(現・六本木ロアビル)にて「異分子」展開催。イラストレーター、樋口太郎[ひぐち たろう]と二人展。
以降、画集<異分子>が作家吉行淳之介氏の目にとまり、氏の紹介で「現代文学の実験室」"語り下しシリーズ"「生と性」(吉行淳之介-大光社刊)に描き下ろしのイラストと共に転載出版された。'69再度、「私の恋愛論」(吉行淳之介-大和書房刊)にも画集の大半が転載される。その後、吉行さんとの関係は続き月刊「面白半分」へと継がって行く。
ドン・キホーテ(EL QUIJOTE)銀賞受賞!
アルゼンチン大学、アルゼンチン政府、スペイン政府主催、朝日新聞後援、ドン・キホーテ(EL QUIJOTE)のテーマによるインターナショナル・コンペティションにて銀賞受賞。「世界の13人のイラストレーター」に選ばれる。同作品アルゼンチン政府買い上げ。
ヴェノス・アイレス大学出版部<Eudeva>より同13人の作品集出版される。翌年アルゼンチン、スペイン両国巡回展。
西ドイツ(当時ドイツは東西に分かれていた。)のデザイン雑誌Gebrauchsgraphik International Advertising Art Marz 1967誌に作品と評論が掲載される。
個展<壁シリーズ>を発表
東京・池袋丸物デパート(現・西武デパート)で個展<壁シリーズ>発表。
- (安部公房の小説「壁」に触発されて制作した。)
現在
<THE SHARAKU WORLD> 展開催の為、制作準備中。
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